by atrovis
祖母の死に思う
- 2011年3月 7日 00:24
- Notes
先週祖母を亡くした。享年86歳。大正末生まれの3時代を生きた女性だ。祖母の死に関しては自分でも驚くぐらいに冷静で、それでいてとても安らかに受け入れることができた。祖母はもう10年前ぐらいから徐々に記憶が薄れ始め、少しばかり調子の悪い時を除けばまるで菩薩のような慈愛と、少女のようなふるまいを見せる愛らしい存在だった。その愛らしさに、家族ならずとも心を打たれたファンがいたぐらいだ。そんな祖母自身も、おそらく大分前に自身の死を受け入れていた気がする。だからこそ、この度の死にはまるで雪が春になって解けていくような自然さと高潔さがあったように感じたのだ。
そんな祖母を見送る葬儀の際に改めて思ったのが、祖母を含む母方の祖父母の私に対する影響の深さだ。よくよく思えば、いま半ば仕事の一部となっている電子工作の手始めや何故かそれなりに器用にモノを作る手さばきは完全に祖父譲り。特に教育されたわけでもなく、家の扇風機の修理を興味本位で手伝っていたころに何となく配線やはんだ付けを覚えた。そして人のまだ知らない感覚に価値を置き創造的な挑戦を行う精神は祖母に譲り受けたものだ。茶道、華道と詩吟など一通りの趣味教養を身につけ、特に華道においては子供心にも何とも不思議な奇妙なオブジェクトを花と交えた他にない表現を実現していた。真意を尋ねれば、「創意工夫よ。」と答えられたものだ。その創意工夫は彼女の料理や洋裁にも表れていた。
そんな”創意工夫”の精神を改めて思い出し、改めて自身のたたずまいのあり方をただす思いになった。祖母の創意工夫は必ずしもそれが他人にとっての成功を意味するものではなかった。多くの創作活動がそうであるように、他人の趣味と自身の趣味が完全に一致することはごくまれであり、必ずしも創作が良い評価と結び付くとは限らない。現に彼女の彼女の料理は必ずしも絶品ではなかったし(そういう意味では彼女はそもそも食というものへの関心が薄く、むしろ料理に関しては僕は祖父譲りの男料理を受け継いでいる様に思える。祖父はその時代に珍しく料理に自ら采配を振るうことを生きがいの一つにしていた。)、洋裁の趣味も独特であることはだれしもが認める一方で、その服を着たがる人間の数は祖母の思っているよりは少なかったように思える。しかしそんな彼女の工夫は、必ず彼女自身の自身を引き出し、一つ一つが彼女にとっての成功であったように思えてならない。そういう潔いまでの思い込みと、失敗をものともせず次に進み続ける好奇心が、彼女の”創意工夫”のエネルギーを際立たせていたように感じる。
改めて今の自分を見直し、その”創意工夫”の精神を問う。はたして、祖母に恥じぬ好奇心を保ち続けていられているだろうか。答えは、まあまあ、だろうか。まだ祖母に恥じぬほどにちゃんと維持できている自覚はある。それでいて、もう10数年も少しずつ冒険を避けてきている気もする。日本でそれなりの教育を受けるといやでも身につく、転ばぬ先の杖を幾重にも用意する癖が少し悪さをしているかもしれない。それも必要なバランスではあるけれど。そんなことをふと思いながら、改めて祖母の創造性の偉大さについて思いをはせた。
何とも不思議なことに、祖母が物理的な制約を離れたという事実を受け止めることで、何故か以前よりも近くにいるような気がしている。人間の思い込みの何とも都合よく、そして愛すべきことか。願わくばこの感覚と祖母の”創意工夫”の精神を保ち続けられますよう。
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